絵がうまい人にコンプレックスを抱く必要はないのだ
SNSにイラストを投稿していると、自分より絵がうまい人を見てイライラしてしまったり、
落ち込んだりすることがありますよね。
結論として、神絵師・絵うま人(えうまんちゅ)にコンプレックスを抱く必要はありません。
(というか、そういうメンタルを作らないと生涯ヤミヤミし続けていることになります)
コンプレックスを抱く必要がない理由としては、
個々人で目指すゴール、「登っている山」が違うからです。
なぜコンプレックスを抱く必要がないのか
例として、パッと思いつく私が「絵がうま!」と思う有名な人を挙げてみます。
- 手塚治虫(漫画家)
- マティアス・レクナー(ズートピア美術監督)
- アルフォンス・ミュシャ(グラフィックデザイナー、画家)
- 吉田誠司(背景グラフィッカ、イラストレーター)
- レオナルドダヴィンチ(画家)
一体なんなんだ、この並びは…
どうでしょうか、絵がうまい!ということは共通しているけれど、作風や時代がバラバラです。
この中で「誰が一番絵がうまい?」と聞かれても、答えられないと思います。
比較しようにも評価軸が違いすぎて比べようがないからです。
ですが、「誰の絵が一番好きか?」という質問なら答えられると思います。
好きかどうか、だったら、自分ひとりの評価軸で決めるものだからです。
絵を練習する道のりは山登りに似ている
ここで冒頭の「個々人で登っている山が違う」という話に戻ります。
努力の集積、スキルアップして理想とする絵を描くことを「山を登ること」に例えます。
作風によっていろんな山があると思ってください。
富士山を登った人より、エベレストを登頂した人の方が偉い、などと聞いたことがあるでしょうか?
ないですね。
絵も同じで、各々が登りたい山を自分のペースで登っていくようなイメージです。
近い絵柄で、自分の上位互換みたいな人で、自分より先を進んでいる(ように見える)絵描きの方もいるかもしれません。一番コンプレックス感じやすいポジションの方ですね。
ですがそこに到達するまでに自分と同じコースを進んできたとは限らないし、
目的地も違うかもしれません。
7合目でOKとする人なのかも…途中で違うルートに進むかも…。
上達のスピードや成長曲線も、山にいろんなコースや起伏があるようにバラバラです。
あくまで1例ですが…
基礎をやっていない人は山の最初のほうロープウェイで飛ばしている、
上の方でしんどいと思うことがあるかも
基礎を時間かけてやっていたら上のほうでも地に足ついているかも
いろんなことに手を出していたら時間はかかるけど、人と違う発見があるかも
みんな違う山を登っている途中、だから比べようがない
好きな絵柄や、目指しているゴールは一人ひとり違います。
特定の絵師さんに憧れていても、時間とともに好みから少しずつ自分の感性からずれて行ったり、
絵を細かく見ていくと「ここは私だったらこうしたい」という部分が見えてくるはずです。
超余談ですが、私は幼稚園児や小学生の描く絵がとても好きです。
イメージの発展させ方、自由度、大人が描こうと思って描ける絵ではないです。
特に絵の勉強を一度してしまったらもう二度と戻れないように思います。
まとめ
絵の巧拙は、それまでに得てきた知識の量とお絵描き筋を使いこなせるか、
によるところが大きいですが、
それが絵の優劣につながることはありません。と私は考えています。
自分より絵がうまい人にコンプレックスを抱く必要はない、ということは
なんとなく伝わったでしょうか?
自分の好きな絵をかいて、ともに自分だけの山を登っていきましょう!
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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